桶川は2人の芸術家を失いました

猛暑がもたらしたもの
わが家には日本ミツバチが生息しています。分峰の時に箱に引っ越してもらい、みつを分けていただくために、環境を良くして、なるべく涼しく、花を絶やさず、と心がけてきましたが、今年の猛暑はかないません。
40度近くになった蜂の巣箱から、蜜蝋が溶け出し、巣が落下してしまいました。それがきっかけで、蜂は逃げ出し、蜜の殆どが土に流れてしまいました。それでも、残ったものをいただきました。
その作業は大変で、家中ベタベタ蜜だらけ、その割には大して取れませんでしたが、貴重なものなので、体調に気をつけていただきたい方にお分けしました。
まだ、木の空洞に住んでいる蜂の皆さんがいらっしゃるので、来年こそ、うまく獲れますようにと、毎日草むしりや環境整備に奔走している日々を過ごしています。
松本家の引越しの顛末
県議選の補欠選挙に立候補した松本あやさんのご家族、ご両親が6月のある日、お寺の檀家の役員たちに呼び出されたそうです。
松本家は30年ほど前、陶芸家として加納の光照寺の庫裏に引っ越してきました.当時の檀家総代さんから、

  • 管理をしながら住む、
  • 陶芸の釜を設置しても良い、
  • 但し、お盆の施餓鬼の時は掃除をして家財道具をしまい、2日間その場を明け渡す

という約束で、東京から移り住んだものです。
当時は、裏に竹やぶがあり、庫裡をつなぐ中庭には樹齢数百年の樹木が趣を醸し出す、なかなか重厚なお寺だったと思います。何よりもその風情が、墓地がそばにあることに余りあり、移り住む動機付けを与えたのだと思います。
私はある方に、陶芸家が桶川に引っ越してきたと紹介され、踊り上がって喜びました。
これで桶川も文化の香りが少し漂う街になる、と大歓迎。幼馴染みの友人や教師たちと作った「桶川市民ひろば」は、環境と文化をテーマにしていたこともあり、とても良い仲間として家族ぐるみの付き合いが始まり、心温まる付き合いを今日までさせていただいています。
陶芸家の松本土志さんは、気取らず自然体で、的確に社会を見る目を持った人物、.そしてユーモアのセンスも抜群、無二の友人となりました。
妻の美紀子さんも機織りをされる自然体の明るい方です。パートをしながら陶芸家としての夫を支え続けている今時珍しい糟糠の妻のような女性。.それでいて、自分の意志と生き方をきちんと貫いているのです。
私たちは一緒に集い、飲むと、哲学や政治、社会問題を議論し、時はには大論争になる時もありましたが、楽しい時間を過ごしてきました。
そんな中で育ったご長男がゴーイングアンダーグラウンドの松本素生君。あの寺と緑と田舎暮らしが彼fを育み、歌を作る原点になっているのだと思います。また、施餓鬼の時に家族で大掃除をして家を空ける。そのための家族の結束力。今時失われた絆がなんとなくある羨ましい家族です。
そう言う意味では、当時の粋な人格者の檀家の皆さんによって、彼ら二人の芸術家が育てられたと言っても過言ではありません。
そして、松本あやさんにもその家風は受け継がれ、正義感に溢れ、想像力豊かな、頑張り屋の女性が、一人の若者として、今回立候補をしたのです。
駆け引きで決まる市長選挙と県議選。このような選挙が黙って行われることに、耐えられず、正義感と勇気を持って立候補の決意をしたのです。桶川も見捨てたものではない、と、明るい未来のきっかけを与えてくれたのです。
しかし、愚かにも、この明るい未来と、芸術家を奪ってしまったのが桶川なのです。
檀家の中傷に対応しかねるため
話を元に戻します。6月に檀家の役員さんたちに呼ばれたご夫婦は、和尚さんから突然、

  • 7月いっぱいで出て行って欲しい
  • もし住んでいるのなら4月から家賃か発生する
  • 家賃は10万円
  • ただし、施餓鬼はいつも通りやって欲しい
  • 2週間以内に返事をすること

と、一方的に通告をされたそうです。
また、役員さんからは

  • いつから陶芸の小屋を作ったのか。
  • 聞くところによると、オタクの娘さんは優秀で、選挙に出たらしいが、このお寺を使ったのか

とまで言われたとか。
これに対し、「最初からそういう話でしたよね。」
と答えたものの、当初からいきさつを知る和尚さんはだんまり
「選挙では一切お寺を使っていません。」と答えたものの、その言葉にびっくり!
(背後に誰がいるのかな・・・・)
この会合は一体なんなのだ、と ひどく人としての尊厳を傷つけられたのです。
その翌日にこの話を聞いた私は、「全く常識では考えられない。第一、さかのぼって家賃が発生するなど、聞いたことがないし、ありえない。お寺で家賃を取れば、宗教法人の利益行為だから税務申告をしなければならないし、選挙に立候補をしたことで、出て行って欲しい、ということならば、これは全国で初の憲法論議になるよ!」
なと゜など、言っていることがよくわからないので、文書でもらうことをアドバイスしました。
そして、数日後に出された文書です。
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ご家族御一同殿
明け渡しについて、申し伝えのこと。
現在の光照寺建物(庫裏)を平成25年7月末日までに明け渡していただくこと申し伝えます。
建物の傷み等、万一の時に保障いたしかねる為
檀家の方々より色々の中傷が入り対応しかねた為
(漢字はそのままです)
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その下には、細かく、陶芸小屋の撤去等々が書かれてあり、借主のサインの場所までありました。
失笑です。
しかし、当事者はそうも言っていられない。早速弁護士に依頼をして、以下の文書を内容証明で送りました。

  • 貴職は光照寺代表役員として同寺所有の建物(庫裏)につき,本年7月末日までに明け渡すよう求めています。
  • しかし,その理由として「檀徒の方より色々の中傷が入り」とありますが,回答者にはその中傷の内容が分からず,
  • またそもそも中傷を原因として明け渡しを求めること自体が不当です。
  • 上記建物は,相当の年数が経過していますが,朽廃していないことはもちろん,十分使用できるものであり,
  • 回答者は1983年ころこれを回答者が陶器製造及び居住することを目的として借用したものであり,回答者は陶器製造及び居住を現在継続しており,使用目的は終了していません。
  •  回答者としては,円満な解決を希望していますが,万が一回答者の上記建物の使用を妨げるような行為がされた場合には,不本意ながら民事・刑事を問わず法的手続きに訴えることとなることを念のため申し添えます。
  •  なお,本件につきましては,弁護士が委任を受けましたので,今後のご連絡等,回答者への直接のご接触は固くお断りします。
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なのに接触した和尚さん
さて、松本家の結論として、憲法に抵触するこの話、戦えば勝利は間違いなし。
でも、その気も失せた、というのが本心。戦うことはエネルギーもいるし、ある種対等な立場でやり取りをしなければならないけれどその気にならない。
かねてから、高齢の両親と住まなければ、との思いに拍車がかかり、「やはり人権はなかった」の感想のもと、引越しをさっさと始めてしまいました。
そのさなかのこと、和尚さんがわざわざ訪問し、「文書を返してくれ」と、持ち帰ったのです。
だから「なかったことにします」とも言わないし、謝罪もない。一度出した文書が消え去ることがあるなら都合の良い話ですが、この文書は私のところにも弁護士にもコピーが渡っています。
弁護士を立てるなら、こっちも対抗して受けて立つ、とまで言ったという和尚さんが、正式の代理人を無視して当事者に接触したことの意味を分かっているのでしょうか。
社会常識がないのか自分が法律なのか、似たような人がいる気もするのですが・・・。
いずれにせよ、これが檀家役員代表の行為です。
最初から、お互いに礼節をもって誠実に話をすれば、こんな嫌な思いをすることもなかったのに、というのが、松本家と私の感想です。
これが、桶川で現実に起きたこと。桶川はいつになったら変わるのでしょうか?
一連のできごとに絶句デス。
市民として申し訳ないの一言しかありません。
でも宝は残っています
この話を聞いてホッとしている方はいますか?   県議選は安泰だと・・・・。
でも、そうは行きません。松本ご両親は転居をされましたが、あやさんは桶川市民です。それが松本家の意志です。
それに、私が預かった大量の陶芸品。毎年展覧会と即売会をやる計画です。松本家はこれからもずっと、北村あやことともに桶川に残り続けます。
失ったものは、桶川在住の芸術家ですが、心ある市民の方とはいつまでもフレンディです。
 
当たり前なのでしょうが、松本家の食卓は、すべて手作りの焼き物で成り立っています。野菜や煮物や魚が、陶芸品と織り成す世界。
その豊かさに目を見張った記憶があります。お金で変えない空間で生活することが、今の時代にいかに貴重なものか、それはそれは素晴らしいものです。
 
 

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