向かい風56号の情報

今朝は、東口で向かい風をお配りしました。詳細な情報は、ホームページでと、書いたのにも関わらず、まだアップできていません。まず最初に、下日出谷東の拠点街区の問題と経過について、長い長い話があります。これについて、本日夜にアップしますので、またアクセスをお願いします。
私が、活動を再開し始めるにあたっては、ずいぶんとみんなで議論をしました。しかし、余りにもひどい今の桶川市政と、桶川議会。議会は全くと行ってよいほど機能せず、市民やまちのために身を捨てる覚悟などさらさらなく、世の中どうなっちゃってるの、という呆れと驚きと怒りばかり。
既にお知らせしたように、私に嫌がらせや脅迫まがいのことをするほど、根が腐りきっている輩の「我が世」にしてしまったら、私の人生にそれこそ悔いが残るというものです。
昔、我が家(本陣)は、叔父(父の弟)が父の印鑑を偽造して相続権を得、まちのヤクザに売り飛ばされたそうです。叔父は価格の何割かをヤクザから受け取り、家族で逃げました。残った私たち家族は、出て行け、とやくざに押しかけられましたが、寝耳に水の話。ヤクザと組んで、相続権をうばわれた事を知ったのは、裁判が始まって大分後のことです。
その時は、身近な人間がそんなことをするなど考えられないことだったので、取り合わず、母は出て行く気など全くなかったようです。
母の話
当時、私は、赤ん坊、母は私にお乳を上げていました。ドヤドヤっと、大勢で押しかけたヤクザ、日本刀を抜いて、母の頬に、ぺたぺたと擦り付けたそうです。
「さあ、出で行かないか!」と。
そんな脅しを受けても動かなかった母。そのお乳を飲み続けた私にとって、母の生き様と、この家を残した艱難辛苦を無にしてはいけないと、いつも思って生きて来ました。
だから、これからも桶川を変えるまで・・・まともなまちになるまで、頑張ると思います。
欲もなく、得も求めず・・・・。 人としての悲しみや苦しみを体全体で感じるからこそ、私は生かされているのだと思っています。
余談ですが
母は今でも元気に庭掃除を毎日。「私を苦しめた人たちはみんな死んでいくよ。」が口癖です。意地でも長生きをしたいのでしょう。

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