今日、向かい風52号を出しました。新聞のチラシを確かめてください。
向かい風52号(PDF,480KB)
そして、約 2ヶ月半ぶりのブログになりました。これまで、サボっていたわけではありません。裁判、審査請求、情報公開、その他の原稿など、激務の日々は続き、9月議会に入ってしまいました。その間も、トラブルもあり、更には、あまりにあまりに、桶川市の状況はひどいので、働くことが多いのです。何がって?
何から何まで、情報公開をして、その内情を調査しないと、様々な問題が、いつの間にか進んでいる密室政治のオンパレードなのです。私は、他の自治体の話を聞いたり、これまでの桶川市政を20年間見てきましたが、今ほど法律や市民をないがしろにしている市政を見たことがありません。市長の命令の元、一部の人たちが無分別に、あるいは悪意の元に働いているのか、牛耳っているのか・・・。
桶川市のコンプライアンスは危機的状況
意見書の話を書こうと思っていたのに、とっくに忘れていました。後日にまわしたいと思います。日々、次々と問題が生じてくるので、過去にこだわっていられないのが、今の現状。全ての根源は、桶川市の行政としてのモラルのなさ、に起因します。
市民の財産が、いつの間にか処分されている
向かい風にも書きましたが、6月議会の廃道議案の審議を通じて、廃道敷の処分を知らない間にやっているということがわかってきたので、とりあえず、議事録と資料を情報公開しました。すると驚いたことに、市民の財算が処分されているのに、金額を黒く塗ってきたのです。早速審査請求をしましたが、その弁明書の中身はとてもお粗末。いつから職員の能力が劣ってきたのか、それとも進歩していないのか、とにかく、市と契約をした市民を「個人」とし、個人情報だと、いうのです。
わたしは、基本的には、市との相談や契約に個人情報はないと思っています。しかし、市政は市民生活の相談を受けるところでもあり、弁護士相談や福祉事務所に回したほうがよかったり、近隣トラブルなどもあります。そういう場合の情報処理はきちんと別に管理し、それら以外は、公にするのが当然です。なぜなら、地方自治は、常に公平・公正が原則だからです。
市道は、市民の財産で、行政財産と位置づけ、やたらと処分が出来ないことになっています。4メートルに満たない道路を、地方分権で国から譲渡されているのですが、その道路を順次売っているらしいのです。
これをまず廃道にし、普通財産にして、これを売却できる財産にしてしまうのです。後の値段の交渉は、全て秘密。資料を読んでいくと、「昔、市が無償で譲渡すると言った」とか、「半額にした」とか、「近傍価格にした」とか、それぞれの値段のつけ方が違うのです。鑑定士の仕事をを桶川市が勝手に行ってしまうのです。原則は、道路周辺の地権者が「買取申出」をするのですが、実態を調べていくと、市が地権者に交渉してお願いしているらしいのです。
つまり、竹の子のように市民の財産を少しずつ剥いでいって、お金に変えているのです。桶川市も貸借対照表を作成したはずですが、確実に資産が減っているのです。道路というのは、道路法で廃止をするには厳密な条件が要ります。それより以前に、市道の管理を市は責任を持たなければならないことを、道路法できちんと明記されているのです。だからこそ、一方で市道に認定した土地を収用する強い権限も持っているのです。
桶川市の場合、市の権限は強く主張し、一方で責任には目を瞑る、二重払いの責任を誰もとらなかったことでも明白です。
16日の一般質問
さて、道路に関してですが、滝の宮線をカーブし、下日出谷東の区画整理事業の資金確保のために、今、どんどん工事が進んでいます。40年間の都市計画決定を、一昨年、説明会は、形式的に済ませ、しかも県には「反対者はいない」と報告して、渋っていた県を動かしたのですから、桶川市の地方分権後の権限は大したものです。市の都市計画の担当者も区画整理の担当者も、都市計画とは何か、どうあるべきかをあまり考えていないようです。
都市計画法は、文化や民主主義と直結する理念規定と手続き規定が一緒になっている法律であり、市長や担当者の考え方次第て、市民にとって暮らしやすい街か、人権や環境に配慮された「やさしさ」がソフトハードに生かされているか、決まって来てしまいます。そして結果として「美しいまち」になるか・・・美しさは、文化であり、文化は、経済に直結するのですが、それがわかっていません。
目先の「金」だけに気をとられている行政は、バブルの反省がなく、未来が見えていないのでしょう。最も、桶川に愛情を感じていないのかも知れませんが・・・。
話が飛びましたが、滝の宮線を強制執行(厳密には組合事業なので、直接施行と言うのだそうです)の方向だそうです。しかも、その家の前まで、ドーンと22メートルの幅の道路を作ったのです。そのお宅には95歳のお母さんとその娘さんが暮らしています。お母さんは、「殺されても退かない」と言い、娘さんは「高齢の母は、60年以上も住み慣れた家だからこそ、杖をついたり、這っていても生活が出来る。何がどこにあるかが、見えなくても、聞こえなくてもわかるから」と、環境変化が高齢者の命とりになることを訴えています。
先日、反対の旗がひらめいているところを目撃し、TBSが取材をしたそうです。今の時代に、強攻策で住民をどかしていく、道路を曲げてまでも、進める区画整理はなぜなのか。桶川で、これ以上苦しむ人たちは作りたくありません。神明の問題も含め、これらを質問したいと思っています。
そんなわけで、わたしは引き続き頑張っています。ブログが出ないけれど、どうしたんだ! と、いろいろな方に言われていたのですが、そんなときには、メールを頂ければありがたいと思っています。
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