選挙分析・・・投票率の低さ考

当選証書受理
 一昨日の月曜日、当選証書の受理式が午後2時からありました。 時間ぎりぎりの私が、2時3分前に入ったのに、5番目。前だか後だかに、野口議員がいました。開口一番「北村さん、市長選に出た割には余り取れなかったね」
「選挙直後に会って一番に出る言葉がそれ? 大体私への攻勢がどれだけだったか知っているでしょ」  「俺、知らない」 「そんなことないでしょ。大体私は街頭だけだから」  「俺もそう」 「嘘ばっかり、私は知っているんだから」 「開口一番そんな言葉しか出ないの。もっと大人になったら」
 そこで、「まあまあ」と、とりなす人あり。そのまま逃げるように続きを済ませて行きました。他候補の批判をする気はありませんが、いろんな方が、選挙中の戸別訪問している姿を見かけたし、酒を飲ませている話も聞いているので、いつもながら、何をか云わん、と言うところです。
 また、全員がそろうまで、席に座っている時。「隣の席に座って良いですか」と尋ねた当選者。「昨日までは、駅で俺のそばに来るな、といっていたのに、今日は隣? 」 「だから聞いたんです」 「覚えておきなさい。昨日の敵は今日の友よ」 「はい、わかりました」 と。
 良くわかりませんが、これで得票数が少なかったら、また接し方が変わるのでしょうか?  いずれにせよ、人格を疑わざるを得ない人たちもいる、ということがわかりました。私は、まったく変わらないのですが。
投票率
 46.8%、桶川議会始まって以来の低投票率。直後に考えたことは、議会がおもしろくなくなったこと。議会だよりもカラーを廃止し、読みにくくなったことなど議会の責任と思いました。
 しかし、開票結果を改めて見ると、市長の与党や、リーフレットに市長とのツーショットが載っていた方が、軒並み低得票になっています。わたしは、今回の街頭演説でも、「このように市政が腐敗してしまった原因は市民の責任もある」と話し続けました。「だから、市政に関心を持って下さい」とも。
 しかし、市政に関心を持ってはいただけなかった。これは反省材料です。しかし・・・待てよ。余りほめられたことではないにしろ、ひょっとして、岩崎市長に投票した人たちが、選挙に行かなかったのではないか・・・と思い始めました。友人からも、「北村さんの演説が効いている」と言われたのです。
わたしへの投票行動はなし
 つまり、二重払いや市役所庁舎設計契約解除の損害金709万円のことにしろ、そこから見えるものは、市役所の私物化の一端です。「一を知って十を知る」という感性をお持ちの方は、多分私への支持をしてくださったのだと思います。「そんなことはまさか」と思うものの、「何か変だ」と思った方は、嫌気がさして、投票に行かなかったのではないか、と考え直したのです。
市役所に電話
 たとえば、私が街頭で話したとき、聞いてくださった方が「その話、本当なのかい?」 「はい、事実です」 「ヨシ、それなら俺市長に電話するよ」 と、言った方に出会いました。多分、その方は、自分は市長の応援をした、だから自分の話は聞くはずだ、という思いがあったのだと思います。しかし、市の対応がどうなったのかは、押して知るべし、です。また、その後の舛添大臣への抗議文も、却ってマイナスに作用したのではないかと思いました。
 つまり、市長や与党への不信感が募ったものの、私や市政への批判を持っている方への投票行動に至らなかった事が、投票率を下げた結果になったのではないかと、思うようになりました。これは、私自身への反省です。
嬉しい激励文
 選挙始まって、4日目だったでしょうか?  選挙カーのフロントに、「北村あやこ頑張れ! 市民が応援しているぞ! 」というパソコンで大きく打ったA4の紙がはさんでありました。
 その檄文の嬉しかったこと。今でも事務所に張ってあります。ひょっとして、投票率は低いのではないか、と思い始めた頃です。どんな大きな檄文より、嬉しかった(最も私にはそういうものはないし、いただいても事務所に貼らないか、目ただないところにします。私達は手作りの市民選挙です。雰囲気が変わってしまうので)。
 東京だと、そんなFAXや手作りの応援文がたくさん来るのですが、私に人徳がないのか、桶川にその土壌がないのか、来るのは数人。でも、知らない方からのこんな応援は、演説をした後の「頑張れ!」と大きな声と拍手に匹敵するものでした。いや、それ以上かも知れません。喜びをみんなで共有するという意味で。
 また、駅では知らん顔のタクシー運転手。街なかですれ違ったときの、手フリの大きな応援は、やはり嬉しかったです。
 私は、国政選挙や市長選、知事選、町議選などほとんどの種類の選挙を応援し、経験しています。街を回っていると、投票率の傾向もわかってきます。宮城県から応援にも来てくれた女性県議と一緒に、「今回は低いかも」と話していたのですが、見事当たりました。
 しかし、私の予想は50%ぐらい。それより低かったこと、はちょっと驚きです。私自身の得票数も、目標は2000票、最後の予測は1200票で、「自分の選挙は当たらない」、とつくづく思いました。
 それにしても、桶川で何かが起こっている、と感じざるを得ません。それが何なのか、わかりませんが、いずれにせよ、私は真実を伝えるのみです。
古い選挙再来 
 どの予想もあたらず、少々自信をなくしたのですが、辛勝といえども2位は嬉しい結果でした。4軒先に他候補の事務所。しかも毎日のように旗を持って中山道をのし歩く姿、タスキをはずして個別訪問をする姿(公選法違反)、最終日にはスーツ姿の男性集団が200人ぐらいデモをする姿、などなど、古い選挙再来のイメージでした。
 また、選挙カーが走っても、呼吸をしていないような中山道や駅どおりを見たのは、初めての経験で、実に大変な選挙を経験しました。同時に、デモンストレーションなのか、わかりませんが、プレッシャーを与えるような方法は、良くない選挙だと思いましたが・・・。
 まあ、いろいろ考えるところはあります。「私は大丈夫だから、他候補を応援した」とかetc。毎回そうですが、ある人曰く「利用するときだけ頼みに来て、後は知らん顔」 なんて人も。これも世の常といえばそうですが、でもそれも、私の不徳と致すところです。
 私は個別訪問を一切やりません。公職選挙法では認められていないし、尋ねた方へのプレッシャーを与えてはいけない、と思っているからです。特に商売をしている方には。
 最も、そこが私の甘いところかも知れません。ただ、もう少し桶川市民に賭けてみようと思っています。自分の意思で投票するような方が増える事を。
 生かされている
 「人にやさしい」ということは、その人の有り様を認めることだとおもっています。だから、他人にとっては、利用ばかりする、といわれる人も、他候補に期待の一票を投じた人も。・・・・それなりの思いや生き方があるのだと思うのです。私達は、どこがで出会い、思いを一緒にした人たちが手をつなげは゛いいのだと思います。
 出来れば、苦楽をともにする仲間がたくさんいると人生は楽しいですね。私には、そんな仲間がいっぱいいて、それを理解してくれている人たちもたくさんいる。それが私の幸せかも知れません。
 私の票は、そんな人たちの思いや努力の結晶です。私だけの物ではありません。まさに、「人に生かされている」と、感じた今の私です。

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