一昨日、19日に亡くなくられた岡崎トミ子さんの告別式が福島で行われました。
会場の写真を見た途端、どっと涙が込み上げ、すぐに引き返してしまいました。
1991年に衆議院議員になって以来、長くお付き合いさせていただき、勉強もさせていただきました。常に弱い立場の人に寄り添い、市民運動が駆け込むと、いつも「いいよ」と言って官僚に掛け合い、話し合いの場をもってくれました。
最初の民主党立ち上げの時には、彼女は副代表、私も仙台に入り、東北ブロックの事務局長という形で、青森、山形にも出向き、彼女とともに選挙を戦いました。
しかし、その時は落選、その後まもなく参議院の補欠選挙で参議院議員となりました。
まさに、環境、人権、戦後補償、東チモールの独立など、国会議員として、自分を後回しにした活躍ぶりでした。
昨日は議会最終日
予算の採決のある日です。私は一般会計265億円の反対討論をしました。
主にビッグプロジェクトの問題点とムダ遣いに言及をしました。これは向かい風で報告します。で、最後に岡崎さんのことに触れました。
桶川に関することも様々取り組んでいただいたこと。生活保護者のクーラー取り外し事件では、報道直後に女性国会議員と連携し 厚生労働大臣に直談判、
大臣はこれを受けて、十数時間に及ぶ官僚の説得を繰り返し
その日の夜中には、生活保護のクーラー保有を認める英断を下したのです。
その後、生活保護基準の改定は画期的に進みました。
圏央道の都市計画決定に際しては、住民にてい寧な対応をとるよう求める意見書を、全会一致で採決し、議会の代表が建設大臣に直接面会して意見書を届けるセッティングもやってくれました。
その他、上尾道路の環境対策、障がい者の権利条約や、鳩山邦夫さんとともに、党派を超えて文部科学省と交渉し、障害児の普通学級の教員の加配の枠を拡大させました。
従軍慰安婦とされた人たちの救済にアジア諸国を回り心を配り
消費者行政に力を入れ、消費者庁の設置、放射能測定器の補助制度を導入する等
桶川市が恩恵を被った事業も多々あることを紹介しました。
市長・副市長・秘書室長の笑い
実は、彼女の意思を受け継いで、これからも仕事をしていくと、締めくくるつもりだったのですが、悲しみが込み上げて来て、やばい、と端折りました。
国家議員、与党時代も変わらず、権力は常に弱い人のために使ってこそ生きる、市民・国民の幸福のために毅然と突き進んでいた岡崎さん。
最後に、職員、議員、市長、皆権力者であり、
権力をもっている人は、常に自分を振り返り、検証を怠らず、判断と行動をお願いしたい。
と締めくくったのですが、
後で、前列の市長以下がメモを回して、くすくすと笑っていたと聞き
秘書室長に、人かまじめにしゃべっているときに何だ、と抗議しました。
すると、「発想を変えられないんでしょうかね~」「自分たちは権力者と思っていないんですが」
「はっ! ちと、社会学を学びなおしたらよいのでは?」
「謙虚な気持ちはありますよ。」
「大學はおちこぼれでしたから。」
「それは、落ちこぼれと言わない。学んで来なかったんでしょ。」
これでは市役所は良くならないと、市長もわかっていないのかな
私の知っている尊敬する首長は、職員に常に戒めている、と聞いています。
ねぇ 岡崎さん、だからまだやることはいっぱいあるのですよね!
違う世界にいても、一緒に戦いましょうね。
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