遅れました
選挙から半年、ようやく桶川の新市政の姿がはっきり見えてきました。
というか、何も建設的な桶川のビジョンがないまま、今日まできたという動きしか見えてきません。
たくさん問題がある中で、最高裁判決を中心向かい風64号を発行しました。先週の木曜日に新聞折込に入れましたので、もう既にごらんになっている方も多いと思いますが、アップします。
最高裁判決まで求める自治体とは?
住民が行政との訴訟で、最高裁まで戦う事例はままあるものの、自治体が高裁で敗訴して最高裁までもって行く事例は極めて少ないのです。その意味で、判例にまでして桶川の汚名をさらに塗ってしまった前市長は、桶川に対する愛情がないのでしょうか。
判決を読んだら、「へエー、こんなひどい市もあるのか」という感想しか見つからないというのが正直な感想だと思います。
なぜなら、最高裁は、憲法違反の判決か、新たに新しい証拠が見つかったなどの主張がなければ、判決が覆ることはありません。勿論、弁護士は仕事ですから、その可能性の大小はあってもお金になるので引き受けます。
それなのに、控訴をしたのですから、理由はいくつか考えられます。
- 担当者が、裁判のことをあまり知らないで被告の言いなりになって控訴した。当時は市長の命令に従ったということでしょうか。
- わかっていても管理職としていさめることが出来ない。
- 桶川のことを余り考えていない。
- 法律を勉強しようとしない。
全市長やその側近は、市長選挙を翌年に控えての控訴ですから、勝ち目はないと知っていて控訴したのであれば、以前も書きましたが、それは効を奏したわけです。
しかし、そのことは、今後の桶川市政に決して良い結果はもたらさないでしょう。つまり市民を騙した形で選挙を展開し、判決が出た後も、コンプライアンスが崩壊している市政を立て直そうとしていないのですから、ガンを抱えたまま出発しているのです。
事あるたびに、市民からはそのことを言われてしまいますから、岩つき前市政の後継者として登場したのですから、負の出発をゼロまでもって行く覚悟が必要です。
また、与党と称する議員諸氏も同じです。
北村さんは20年先の話しをしている
私が20数年前に議会に入った直後は同僚議員からも幹部職員からも、そう言われました。
しかし、議員というのは常に先を見ながら、現在の方向性を糾していくことが必要です。それが当たり前なのです。
ところが桶川は、余りにも、現在の利権構造にばっちり縛られていて私たちの税金をむさぼっているので、改革が出来ないのです。反省も出来ないのです。
その意味では、私が20年先を見ているのではなく。桶川が20年遅れているのです。
私のやっていることは周辺自治体の議員のやっている当たり前の仕事です。
その結果が、この町の善悪は裁判でしか決着できないほど、腐りきってしまっているのです。
市長の社協会長、けやき財団理事長への就任
実は、この話しは市長選直後に情報は届いていました。市長選挙で小野市が当選したお礼に、と副市長が決めたという話しでした。
皆さんにお知らせすることも考えましたが、財団法人も社団法人も法律や定款で厳しいし縛りあります。それを見極めなければと思って控えていました。
そして、理事会が開かれて、どちらの理事会評議員会でも、異論が出ないという今の桶川の状態。そして、意見をいえなかった人たちからもひそひそと不満が届いているのです。
桶川の文化や福祉行政を担っている人たちが、堂々と意見を言えない会議と担ってしまっているのでは、私だけが頑張ったって桶川は良くならないと思います。
もっとも、行政が主催するあらゆる会議で、そういう雰囲気が出来上がっているのですから、やはり桶川は、50年以上遅れているのかも知れません。
その一方で、これから湯水のように税金を使う事業がどんどん出てきます。今後その問題点もお知らせしていきます。職員の皆さんも、是非意見を言って下さい。
悔いのない人生を
人権を尊重する、ということは多様性を認めること、相手の意見を出来るだけ聞くこと、そして行政は、その意見が言い易い環境を作り挙げる努力をすること。それでしか市民参加は生まれません。
皆さん、一歩進みませんか。自分の人生に悔いを残さないために。
私たちは限りある時間の中で生きています。
子どもの時読んだ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。あれは戒めの話しではなく、もっと深く心の深淵に自らを問いたいと思っています。