3月5日に書いたブログをアップするのを忘れていました。
今日は、私ごとなので、文体を変え
隣地に、境界線ブロックから1.8メートルに2階の壁が出来た。94歳の母を騙すようにして測量をし、私が訪ねた時よりずっと南にせり出して、突如立ち上がった。
私の生家は桶川宿本陣。生まれた時から、家の乗っ取りや裁判に苦しめられてきた。祖父は信用金庫を作ったが、やがて倒産。自殺未遂をするが、我が家の破産手続きをする事になり、近隣の元名主さんたちと番頭の小高氏が財産整理に携わった。
当然、整理委員は我が家の財産に手をつけてはいけない。しかし、番頭は違っていた。使用人に金を渡し、競売で残ったわが家の土地半分を落札させたのである。価格は、勿論漏れている。それが東側の小高駐車場だ。
どこかで日常茶飯事に行われている事が、昔からあったんだ、としみじみ思う。
しかし、そんな事ではすまない。わたしは子どものころから裁判に苦しめられ、家はぼろぼろ、風吹きすさむ家で20代まで過ごした。その間、何度も境界線が動き、裁判をやっているからと、我が家までわざわざ来て小便をする近所の男もいて、村八分のような生活も体験した。その一方で、明治天皇行在所と言うだけで、別格の扱いを受け、差別と権威の中ですごしてきた。
何度も本陣の保存を訴えたが、耳を貸さなかった桶川の人々。姉たちは今でもその怒りを抱えている。しかし、わたしは末っ子で、その苦労も少ないのだと思う。そして子どものころから、「自分の慾のために生きるにあらず」を自然と身に着けてしまったのが、不幸の始まりだ。
最後は、この家は残さなければいけない、という思いで、家族中が昼も夜も働いて貯めたお金を5000万円を払い、和解をした。今の価値でいくと、多分1億以上になると思う。だから今はとても貧しい。
隣地駐車場に我が家ぎりぎりに、積水ハウスのシャウメゾン
話を戻して、隣地の2階建てアパートは、突然出来た。工事の内容も、どんな建物が出来るのかも事前に知らせず、あっという間の出来事。その間、私の家には騒音と振動で壁に亀裂が入ったが、見に来ただけ。
壁近くには私たちはすんでいない。しかし、文化財の景観は全く破壊されてしまった。まちおこしのためにと「かかり火狂言」をやり、毎月第一土曜日の公開もやったり、俳句の会や、野点など、活用をしてきた。今は、自力ではとても無理なので、頼まれたときしか公開をしていない。(今年は、皇女和宮降下150年にあたり、県立歴史博物館では、3月末から企画展が始まり、わが家も協力している。)大枚をはたいて取り戻した家だが、自分たちの物と思ってはいない。次世代へ残すべき財産と思って守ってきたが、桶川市は全く協力をしない。開発許可の情報公開でわかった事だが、中庭が広い。100年近く使用してきた道路も突然閉鎖された。市の開発許可のいい加減な事。毎日何百人と人が通る。通行権だってあるのに、地域の住民生活は考えていない。
この積水ハウスのために、庭の景観がすっかり壊れた。もともと隣地が駐車場になった時に、樹齢300年以上の赤松が3本枯れた。赤い樹木の周囲を熊笹で覆った庭だったが、今は復元を試みている。そこに拍車をかけたのが今回のアパートだ。
和宮が見たであろう景色が全く損なわれた。心の底から悲しいと思う。
わが家は早速抗議した。積水ハウスに・・・敷地が狭い自宅を立てるのとは訳が違う。南側に倍以上の敷地が残されているのに、どうして県指定の文化財に配慮しなかったのか?
小高家に・・・・我が家の番頭だからこの土地を手に入れられた。過去のいきさつはともかく、一緒に文化財を守っていくという姿勢を持っていただけないか?ともに、桶川のために考えていただけないか?
答えは・・・土地はいっぱいあるのに、金儲けしか考えない?
都合1ヶ月以上、4回話し合っているが、3月初旬、時間がないということで、最後通牒に来ただけ。プラスチックの竹垣を3メートルの高さで建物部分を覆うというもの。それは、返って景観を損ねる。ない方がましだ。こちらは木を植えて緑の生垣を創って欲しい、お金がかかるというなら、管理はこちらでやっても良い、と譲歩したのに・・・・・NO!だ。「丸見えの母の部屋。プライバシー侵害に対しては、判例もたくさん出ている、裁判でも勝てると思うのでは?」の問いかけに、積水社員・・・「どんな事をしても見えるのは避けられない」と。
つまり、それがわかっていて、あえて建てたということか?
数々のマンション紛争を扱ってきたけれど、こんな会社も珍しいし、施主もなかなかだ。母の部屋は東に向き、90度の角度で2階の3世帯からも、1階の3世帯からも丸見え。距離は5メートル程度。プライバシー侵害に対しても大したものだ。
「市の開発許可をとっている」「何をしても覗く事をさけることは出来ない」「日当たりを考えて今の形にした」「入居の期日に間に合わない。時間切れだ」「木を植えると葉が落ちる」・・・・何ともはや、呆れてしまった。
このアパートの北側には、大きな中庭がつくられ、壁のようにそびえる建て方でなくとも、いろんなパターンはあったはずなのは明らか。駐車場もたくさんあるのだから、駐車スペースを北側にとってもよかったはずだ。
木を植えると葉が落ちる
この言葉に驚きすぎて、何か引っかかっていたことがわからなかったが、書いていて思い出した。番頭をしていた先々代がブロック塀を作るときに我が家と揉めた。当家は緑の生垣、先方はブロック。その理由が「葉が落ちる、金がかかる」の一点張りで突っ張った。そのころの苦い思いでも蘇ってきた。
しかし、都市計画マスタ-プランでは、倒壊の危険と火災防止という理由で、「緑の生垣を進める」とある。震災でもその事は証明されている。
お金や土地のある人は、文化やご近所を大切にするかと思いきや、このまちは相変わらず、自分勝手が多いらしい。
他人の裁判やトラブル、桶川市政に関わっているうちに、我が家の事がおろそかになった。超過密のスケジュールだけど、先祖や今まで頑張って残してきた、応援をしてくれた人たちに申し訳がない。この問題と金儲け主義との今の世相に、一歩も引くつもりはない。
この怒りは、私の怒りではなく、先祖から受け継がれたもののような気がしているから。
桶川市も一向に協力的でない。観光と言いつつ、何もしない。県やJRから頼まれると、その時だけやってくる。
今回の都市計画マスタープランには、「中仙道の歴史を生かしたまちづくり」と述べつつ、本陣は地図にすら載っていない。開発許可を与える会議には教育委員会も参加しているのに、・・・何も意見を言っていない。
これが、本陣が公開できない本当の理由。市が全く気持ちがない。物理的に不可能なのだ。
見学に来た事が口をそろえて、・・・・ひどいですねー。
これも自分の為ではなく、次世代へ伝えていくためにも、戦うつもりである。幸か不幸か、影響を受けるのは我が家のみ。北側隣地には十分配慮しているので、我が家だけが、犠牲になるつくり方で、「悪意のある建て方」という人も。
桶川に文化が根ざす 日は来るのだろうか?
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