渡辺映夫元議長を悼む

先月、8月23日、渡辺氏が亡くなりました。私はその日、高野山。早朝、「危ない」との連絡を受け、帰路の準備をしていたら、その数十分後に、他界したとの電話です。急いでも仕方なく、高僧の導きで、奥の院まで行き、棺にお供する「お札」を頂いて帰途に着きました。
私と同期で議員になり、4期12年の議員在職中、4年間も議長を務めた数少ない人物ですが、その間、市の保養所建設の廃止、川田谷墓地建設の中止、ごみの固形燃料化の中止、マンション紛争防止条例の制定、住民投票条例の成立など、多くの仕事をともにし、苦楽をともにしてきた同士でした。
後悔と無念さ
議員を長く続けていれば、考え方や立場の違いで、争いになることもあります。私たちが一度だけお互いの行く方向が明確に分かれたことがあります。
それは、8年前の市長選挙です。そして、そのことが彼にとって、晩年の深い深い後悔となりました。当時の争点は、ごみ処理の固形燃料化。特別委員会で、中止すべきとのまとめを出したのは12月。その直後の市長選挙でしたから、彼は、固形燃料化に反対する、勝てる候補者を求めていました。そこに、岩崎氏(現市長)が、渡辺宅に手をついてお願いに行ったそうです。
私は、その動きを気づいていましたから、彼に言いました。「嘘つきはダメ。私はあるべき候補者を立てる。」と。加えて、「半年以内に必ず裏切られるから。」と、忠告も。これに対し、渡辺氏は「俺は勝てる候補者を出す」・・・保守系の人物の独特の発想です。私は彼の性格を知っていましたから、あえて争いはしませんでした。渡辺氏に仕掛けた人たちと同じ土俵にあがることに、ある種の嫌悪感を感じていたからです。彼らは目的のためには何でもする。公務員として、公選法違反などお手の物。市の印刷室で、チラシだって刷っていたのですから。これには証人もいるのです。
渡辺氏は、がむしゃらに選挙運動をし、社民党、組合、自民党と、多くの支援を取り付け、岩崎市長は当選したのです。当時は、議長。私が新市長を追求すると、議場で対決したこともありました。しかし、その後「オメエの言った半年も経たないうちに裏切られたよ。」と、言ってきたのは、数ヵ月後です。それ以後、彼の気は休まることはありませんでした。
合併にしても、ごみ処理施設の工事入札にしても、言うこととやることが異なり、何を信じて良いかわからない中で、私は多くのことで相談を受け、それに対し、ことごとく調べ、疑惑を正してきました。議長として、市長を出した責任者として、どれほどのエネルギーを使って市長を糾し、怒り、良心に責め苛まれたかは、私と夫人が一番良く知るところです。さらに、岩崎市政に睨みを利かせられる唯一の人物として、6年間必死で頑張ったのは、多くの人の知るところです。
納得できない病状
今回の市長選挙では、体調がすっかり悪くなったにもかかわらず、一生懸命応援をしてくれました。しかし、私はお腹が腹水で大きくなるのをハラハラしていました。開票のその日に、医者を変えるようお願いし、数日後に入院となったのですが、おなかはパンパン、破裂しそうな恐怖でいつもいっぱいだった私は、ひとまず安心をしたのです。そして、すべての精密検査を行い、結果は、「3年前なら治療方法はあった」と言われたときは、私もご家族も、にわかに信じられませんでした。しかし、本人の余命の話は絶対にできませんでした。
それでも、治療法を変え、腹水も少しずつ取り除き、5月の連休明けには、元気に退院をし、何とかもう少し生き延び゛られるかも、との期待もありました。その後は、一進一退を繰り返し、食欲もなくなり、衰弱していきましたが、最後まで尊厳を失わず、家族に手を合わせて感謝を表し、畳の上で亡くなりました。
多くを語りません。しかし、はっきりしていることは、「ある方」の紹介で診てもらっていた病院では、病状について本人に知らせていなかったのです。末期の肝硬変になっていましたが、専門医にではなく、外科医の処方箋を受けていたのです。これには入院した先のお医者さんもびっくりしていました。厚労省の照会でも、何でもその病院には、全国的に肝臓の権威の医者がいるそうですが、その方には診ていただいた事はありません。一体、どのような紹介だったのでしょうか。
葬式が終わり、火葬場で骨を拾いました。骨壷からはみ出るくらいのしっかりした骨で、肝臓さえ悪くなかったら、まだ何年も生きられたのにと、同級生の元気な姿とオーバーラップし、この怒りと悲しみは消えることがありません。
享年74歳。無念の死から、私は感じます。終わりの始まりが始まったと。
会葬者から見える人の心
力のあるとはき、足しげく通った業者、議員、その他の人々。人が亡くなったときにその人の生きている姿勢や人柄はよくわかるものです。
少なくとも、2期4年議長をした方に、桶川市として、あるいは市長として花ひとつ送らない、お通夜に遅れてきて、すぐ帰る市長というのも、よっぽと忙しいのか、何なのか、何をかいわんや。
合掌・・・・・。一日も早く成仏されんことを・・・・。  後日、供養のためにも写真をアップしたいと思います。
watanabe

  • URLをコピーしました!
目次