市長選挙が騒がしくなりました

巷は4月5日の市長選挙の関心で、相変らずのデマや策略がされているようです。いや、巷というのは間違いですね。利権に関わっている人たちや、選挙になると かりだされる人達の間ということです。
従って、ブログへのアクセスも増えていますが、皆さん何を考えているのでしょうね、桶川をどうしたいと考えているのでしょうか?
そろそろ、自分達のことだけを考えずに、桶川で弱い立場の人たちに思いをはせ、共に生きる事を選択できないでしょうか。それに、不正に目を瞑っている人たちも、関わっている人たちも同罪であることを考えていただきたいと思います。
警察に行きました
先日、私への事実無根のデマを流している人たちについて、警察へ相談をしました。手紙も提出してあります。今後、心無い噂を聞いた方は、是非私にご一報を下さい。発信元をたどっていくと数人になると思われます。Uさん、Sさん、Hさん、はっきり話された方のみ、お知らせしてあります。
私は、人を恨んだり、憎んだりはしません。それは自分を粗末にすることだからです。でも、だからと言って、平気で人を貶める、傷つける行為は許しません。それと、権利の乱用と胡坐をかいている人も。そういう行為は、必ず誰かを犠牲にし、傷つけているものだからです。
下日出谷東の区画整理がいい例です。市長は、地権者の反対を封じるために警察に、「脅された」と相談に行きました。私が相談に行ったのは、私の人権侵害と、公職選挙法に抵触する行為があったからですが、これは違います。警察という権威を使って、地権者を脅すという人権侵害をしたのです。言っていない事をでっち上げて、悪者にし、挙句の果てには、先祖から引き継いだ土地を奪い取るのですから、その辺の泥棒より酷い。しかも、それを職員を使い、組合を利用し、法律を乱用しながら、特定の人が利益を得る仕組みなのですから、始末に負えません。
しかし、他人事と思ってはいられないのです。区画整理事業は、国費も市も補助をしています。組合事業といえども、私たちの税金も投入される。このまま行くと桶川市の財政に陰を落とします。私は15年前から7組合の事業は、確実に市の財政を圧迫する、と警告してきました。その通りになっているのです。
政治は人が相手です。自分の書いたシナリオや目論見を通そうとする人たちは、人間を都合良く解釈しているか、力のあるものが人をねじ伏せてよい、という考えを持った人たちです。そういう人たちには、改めて民主主義は何かと問いただしたい。そういう意味で、桶川はまだ変わっていません。
職員の皆さんも、誰が市長になるかに戦線恐々としているのではなく、公務員として市民をどう守り、全体の奉仕者としてどう仕事をしていくかを、常に考えるべきです。プライドを持ってほしい。仮に、コネで入った職員であっても、公僕なのです。「奴はコネだから、」と言われないように、今一度職員としての生き方を自分に問いなおしてください。試験で入った方は、志を持って公務員になったのですから、自信を持って、働いて下さい。
なぜこんなことを言うのか
若宮中央通線の地権者への裁判、陳述書は嘘でいっぱい。土地をとられ協力させられる地権者が、なぜここまで傷つけられなければならないのか、職員が自分を守るために都合の良い報告をし、覚えめでたく動いているとしか考えられません。そういう人たちは、全体の奉仕者ではなく、公務員として失格です。職員同士の間でも、問題を自覚し、同じような話がされているにもかかわらず、誰も口をつぐんでいることも悲しい。
多くの人が、左遷させられることを怖がり、萎縮している状況を見るにつけ、私は心が痛みます。同じ人間で、税金を払っているのは市民なのに、どうしてなのでしょう。不正がわかっていながら、自分を守るために口をつぐんでしまう自分とは一体なんなのでしょうか? 
私は、毎朝、鏡を見て自分に問いかけます。お前は精一杯生きているか、正しく生きているか、と。一度試してみてください。自分を見ている自分が常にいる、エル・ゴ・スム、哲学の第一歩です。
議運その後
予算質疑のあり方について、2回の議会運営委員会の後、結局は今まで通りとなりました。ただし、2日前までに、「通告」をすることが決められました。私は「議運で決まったことは、委員の中での申し合わせ。私たち無会派は、メンバーではないので、守らなくてもよいのですね。」 佐藤氏「それは違うよ。私たちではないでしょ、私でしょ。」・・・・ああ、又始まった。・・・・
北村「今、私たちで話していたことだから、佐藤さん、あんたにそういわれる筋合いはない。あなたはすぐ、私が発言すると、邪魔するのね。大体、私達は何年も議員をやっていれば、どうにでもなる。通告制にすれば、自由な議論が保障されなくなる。新人の人たちにとっては大変になる。執行部は専任で仕事をやっているのだから、資料やデータならともかく、答えられるはず。」
私には、佐藤氏の発言封じのやり方には、通用しません。なぜなら、大学時代、そういう人がたくさんいました、特に新左翼の男性達。私は彼らを見ながら、虚勢を張っているとしか思えませんでした。この歳になると確信のようなものです。組合運動をやられた方にもよく見かけます。そんな男たちとの言葉の応酬は、好みませんが、仕方がありません。私は心で政治を語りたいと思っています。だから、人を潰したり、発言封じをする言葉の戦いは、認めるわけにはいかないのです。
議運のメンバーは、どうやら執行部と市長の側に立っている人が多いようです。私は、全てを通告にしたら、議会のチェック機能は半減する、と思っています。もちろん、「原則、通告」という事になっているので、全てを通告する必要がないのですが、議長や委員長の裁量権で質問をコントロールすることが可能になります。そんな議会はどこにある。
そうなったら、私は戦いますが、それこそ無駄な時間。要は市政のチェックを十分可能にすることなのです。挙句におまけがついて、通告は、文章にして事務局に提出、議長、委員長に渡るようにするそうです。議員と委員長の間に、チェック機能まで、チェックするということです。私は、全ての法律や決まりは、常にそこから派生する影響を多面的に考えて判断しなければならないと思っています。それをやれない政治家が増えているから、後期高齢者制度や年金のズサンな処理が出来上がったのです。その点では、中曽根元首相の嘆きと同じ思いを持っています。
子どものホームルームや児童会を考えて欲しい。、もしこんな制度を導入したら、優秀な子どもしか発言出来ない、育たない、勉強がやりにくくなります。私達議会は出来るだけ、自由な議論を保障しないと、それでなくても視野狭窄に陥りがちな議会です。市民の声が届きにくくなるし、多様な立場の議論も出来なくなるのです。
これに気づかないと、自殺行為になりかねないのてす。職員の皆さんも、「よかった」と思ったら間違いです。その場で答える勉強もしない、緊張感もない、管理職の責任も自覚しない、挙句の果てには、通告に対する答弁が長すぎ、読み上げネールだけなので、抑揚もなく説得力もない。頭の良い職員は、さっさと早口で答えてしまうので、今度はこちらが何を言っているかわからなくなる。自由闊達な議論の場とならない、ということになります。現実にそういう課長が出てきているのですから。
最も私にとっては、何があろうと関係なく、きっちり問題点とチェックをするのですが、この方式は委員長報告のために、協力しているようなものです。それなら、今度は委員長報告のボキャブラリーや起承転結まで、きちんとしてまとめて貰いたいものだ。役取りだけでは責任は果たせないのだから。

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